愛されること

この前、ジョアンナと一緒に夜ご飯を食べていたときのこと。

ジョアンナ(たち)の生んだワークである「つながりを取り戻すワーク(The Work that Reconnects:WTR) 」のファシリテーターとして、世界に名乗りをあげてゆくことについて、自分の中にある抵抗感を口にした。

自分にとってこのワークがとても大事で、ジョアンナから学んだ多くの事をたくさんの人と分かち合ってゆきたいという思いは計り知れないほど強く持っているけれど、わたしの話を聞いてもらうため、あるいはたくさんの人にワークを経験してもらうためには、ある程度セルフ・プロモート(自分で自分を売り込む事)も必要なんじゃないだろうか…。でも、わたしにとって、それはこの上なく苦手なことなのだ。

最初に京都でワークショップをしたときも、オーガナイズを手伝ってくれた友人から「ジョアンナのワークの素晴らしさは知ってるけど、ファシリテーター(わたし)の知名度が低すぎて、いくら参加費を安くしたところで、参加者集めはそうとう厳しいよ」と言われたものだ。

それにセルフ・プロモートに関しては、抵抗感だけでなく、ちょっとした嫌悪感に似たような感情もある。「自分が」「自分は」とグイグイ売り込むアプローチには、私自身、なんだか辟易(へきえき)とさせられるのだ。押し付けがましい訪問販売員と話しているような感じとでもいうのか…相手に自分で感じ、判断するスペースを与えずに、隙あらば(いや無ければむりやり作ってでも)「わたし」という商品の素晴らしさを褒めたたえ、その効能・効果を高らかにうたいあげる…(もちろん全てのセルフ・プロモートがこういう方法で行われているわけでは全くない。ただ自分がセルフ・プロモートする時にはかならず、この訪問販売員と自分自身がかぶってしまうのだ)

だから、自分以外の誰かが「由香の話はとても良いから、一度聞いてみるといいよ」とか「由香のワークショップはとても良いから、ぜひ参加してみるといいよ」などと言ってわたしをプロモートしてくれないものかと、箸にも棒にもひっかからないようなわたしは、厚かましくも願ってしまうのだ。

とにかく、そんな思いは内に秘めつつ、セルフ・プロモートへの抵抗感をジョアンナに当たり障りのないような軽い感じで口にした。

ところが、ジョアンナは今まさに食べ物を口に運ぼうとしていたフォークを皿に戻し、わたしの真正面になるように椅子の位置を少しばかりずらすと、わたしの目をガッチリ見据えて力強い口調でこう言った。

You should be loved.
愛されるべきなのよ。

Yes, I insist.
ええ、断言するわ。

You should be loved by many people.
あなたは多くの人に愛されなきゃね。

Not because you are smarter or you have something people do not, but because you allow people to speak their own truth; true stories and feelings deep inside of themselves.
それは、あなたが彼らより頭がいいとか、彼らに持っていないものをあなたが持っているからとか、そういう理由からではないの。彼らはただ、自らの内側にある真実をあなたに語ってもよいのだと知る事によって、あなたを愛するの。自分たちの内側深くにある本当のストーリーや感情をね。

Do you understand me?
分かる?

ジョアンナはわたしの目をまっすぐに見据えてこうたずねた。わたしは、あまりにもスケールの大きな彼女の返事に、何だか窒息しそうになりながら、やっとのことで「…はい」と答えた。すると彼女は

So, you allow yourself to be loved.
なら、愛されることを自分に許すのね。

うーん…
だからといって私のセルフ・プロモーションに対する苦手意識が消えたわけではないけれど、何かが「カチリ」という音を立てて変わった…ような気がした夜だった。