夢のはなし
今から30年前ぐらいの夢を今もはっきり覚えている。
わたしは広島の原爆ドームを背にして立っていて、空は真っ赤に焼けている。
戦火は街中に広がっているけれど、原爆はまだ投下されておらず、原爆ドームもまだその姿を完全にとどめている。
戦火を逃れて行き交う人びとのなかで、唯一、わたし一人が、あと数分後に原爆が投下され、街は筆舌に尽くし難い惨事に見舞われる事を知っている。
「自分だけが知っている」というその感覚があまりにもシュールで、自分は戦争映画に出演するキャストの一人で、未来はすでに脚本にかかれているかのように感じられる。街の人びとは脚本を持たない飛び入りのエキストラというわけだ。
けれどもそうした感覚と同時に、自分が生きているのは紛れも無く今ここの現実だと知ってもいる(夢なのにも関わらず…)
それでわたしは「西へ逃げなければ…この数分の間に、とにかくできるだけ遠くに、できるだけ早く走らなければ」と恐怖と焦りで破裂しそうな心臓を抱えて原爆ドームの前を流れる河原の土手を走っているのだ。
だけどわずか2,3メートルも行かないうちに、川辺であそぶ二人の幼い子どもたちを見てしまう。まだ年端もいかない幼い姉が、さらに小さな弟を川辺で遊んでやっているのだ。二人の親は仕事なのか、家なのか…おそらく戦争に関わる仕事に駆り出されていて付近には見当たらない。
「このままここには置いていけない」と思ったわたしは、この二人の手をそれぞれ右手と左手につかみ一緒に走ることに決めた。
けれども幼い子供の足取りのせいでそれまでのスピードは格段に落ち、わたしはすぐ背後に立つ原爆ドームを何度も何度も見やりながら、何とかして二人を走らせようと急き立てた。
姉の方は何となく状況を察したようで私について素直に走ろうとするのだが、弟の方は何が起こっているのかわけが分からず、手を強く引っ張られたせいもあって、どうあってもそこを動こうとしない。
ジリジリした焼け付くような焦りを何とか押さえてこの幼子をなだめすかそうとするのだけど、それも全く効を奏さない。そこでわたしは左手で女の子の右手をもち、右手でこの小さな男の子を抱き上げて走ることにした。
ところが…
この男の子が異常に重いのだ。
とてもじゃないけど持ち上げるだけでも一苦労。
いや、思い出せないけれど、もしかしたら持ち上げる事すらできなかったかもしれない。
その時、わたしは二つの思いの葛藤に苦しんでいた。
この男の子を置いて、姉の方だけでも助けるべく西へと走り続けるべきか…
それともここに留まり、あと数秒後に迫った原爆投下の時間がつきるまでは、男の子を救う努力を払うべきだろうか…
この姉弟にさえ出会わなければ、今頃、もっと遠くに行けていたはずの自分…
恐怖や焦りだけでなく、自分でも恐ろしくなるような醜い感情のなかで、わたしは泣きたくなるような気持ちで原爆ドームを見つめて立ちすくんでいたのだ。
「これが夢だったら…」と願いながら。